ものづくりインタビュー:沢正眼鏡株式会社 澤田さん&一般社団法人SOE / RENEW事務局長 平田さん 前編

「ものづくり」をテーマにインタビューさせていただきました!

鯖江市でさまざまな活動を行って盛り上げている人たちの動きを、もっともっとたくさんの人に発信するべく、活動の当事者たちに密着し、レポートをまとめる『つくる、さばえ研究課』。

第一回目のインタビューは、「ものづくり」に焦点を当て、鯖江市河和田地区にて眼鏡を製造している沢正眼鏡株式会社 澤田渉平さん、福井を代表するオープンファクトリーイベントを運営している一般社団法人SOE 平田藍莉さんの2名に話を伺いました。

長年、鯖江で眼鏡職人をしている澤田さんと、東京から移住し、産地の職人を支える右腕人材の平田さん。
お二人は、鯖江という地域で今どんなことを考えているのでしょうか。

<沢正眼鏡株式会社ついてはこちら>
WEB : https://www.sawasho-opt.com/
instagram : https://www.instagram.com/sawasho_opt?utm_source=ig_web_button_share_sheet&igsh=ZDNlZDc0MzIxNw==

一般社団法人SOE / RENEW事務局長 平田藍莉さん
東京都出身。大学時代に地域デザインを学び、RENEWをきっかけに福井に関わったことから、2023年に福井県鯖江市移住。一般社団法人SOEに所属し、一般社団法人SOEが運営しているオープンファクトリーイベント「RENEW」の2024年事務局長を務める。通称「あいとん」。

<一般社団法人SOEについてはこちら>https://soe.or.jp/
<RENEWについてはこちら>https://renew-fukui.com/

—お二人のプロフィールを教えてください。

澤田:鯖江市出身で家業であるプラスチックフレームの製造をしている沢正眼鏡株式会社を継ぎ、仕事をはじめて20年、今年の夏に代表取締役になりました。事業内容としては、OEM100%で主にプラスチックフレームの完成品を製造しています。会社の特徴としては、徒歩圏内で会社に勤めている方が多く、昔から地域の人に支えられている会社です。また、私自身、まちづくりの取り組みに関わる団体に所属していたこともあり、地域と関わる大切さを大事にしています。

平田:一般社団法人SOEに所属していて、一般社団法人SOEが運営しているオープンファクトリーイベント「RENEW」の事務局長をしています。東京から23年の5月に鯖江市に移住し、23年RENEWスタッフとして参加、24年に事務局長をしました。また、最初は参加しようとは思っていなかったけど、同じSOEスタッフで沢正眼鏡チームの子に「あいとん、暇?」と誘われ、越前鯖江デザイン経営スクールに参加し、現在も澤田さんと一緒にチームサワショウとして活動しています。

気になる鯖江のメガネ事情

—今からお二人それぞれに質問したいのですが、まずは澤田さん。沢正眼鏡さんの事業内容はどのような内容になるのでしょうか。

澤田:事業内容はプラスチックフレームの製造になります。自社製品がなく、OEM100%で創業時から製造しています。複数社からオーダーいただいていますが、弊社の年間数量のうち国内2、海外8くらいの割合だと思います。海外の中では特に東アジアを中心とした小売店に流通されています。

<澤田さんから見せていただいた沢正眼鏡さんでつくられている眼鏡>

—海外シェアが8割になってきたのはここ最近のことなんでしょうか?

澤田:主に代理店が販路を開拓していて、東アジアで「日本の職人が作った眼鏡」という言い方をして結構今売れているみたいですね。また、海外の方が日本製というところに一定の評価してくださっているのと、円安の関係でより日本製のものが買いやすくなったということもあったりしますね。

—沢正眼鏡さんだけではなく、眼鏡業界全体がうまく海外にはまっていったんですね

澤田:それはもちろんありますね。中国で以前作っていたものを為替が円安になったので、日本で作ろうという会社さんも増えてきました。しかし、今鯖江にたくさんオーダーがありすぎて、リードタイムが長くなり、少し値段が高くてもリードタイムが少ない中国に発注せざる得ない状況にもなっています。色々ここ近年波がありますね。

—日本製の眼鏡と海外製の眼鏡の大きな違いってあるのでしょうか?

澤田:個人的には、ほぼほぼないというか、中国もすごくいいものを作っているイメージで、正直なところ中国とかの方が最先端の工作機械などを入れてより緻密なものを作っている会社もあったりします。日本は、バブル崩壊で不景気を迎えてなかなか企業体力がない中、設備投資もできず、手作業に頼ることが多くて、もしかすると少し粗があるのは日本の手作りの眼鏡で、均一・量産されたマシーンメイドが中国の眼鏡なのかもしれません。品質自体はどちらも変わらなくなってきていますね。日本の眼鏡のここがすごいってなかなか言えなくて、悩ましいところではあります。

—それでも日本製の眼鏡が売れているのはすごいことですね

澤田:あまり世界的に眼鏡をつくる産地自体が全然なくて、イタリアと中国と日本くらいしか眼鏡の産地と言われる国がないんです。その中で、日本の古き良き職人さんが作っているハンドメイド感というのが昔ながらのビンテージの眼鏡等を思い起こさせるらしく、世界観にピッタリということもあり、日本の眼鏡がそういうマーケットに評価されているんだと思います。

<作業の様子をジェスチャーで見せてくださっている澤田さん>

地域と向き合って自分の意思で何かをやって死んだ男になりたい

—澤田さんは鯖江出身で、今に至るまでずっと河和田にいらっしゃるんですか?

澤田:学生時代に東京にいたんですけど、戻ってきてからはずっとここに20年以上いて、ここで家を建てて子育てをして、ここで死んでいくつもりです笑。

—元々戻ってくる予定で大学も東京に行かれたんですか?

澤田:なんかよくある田舎の慣習じゃないですけど、「長男で自営業をしていたら長男が継ぐよね」という流れが既定路線なので。必ずやれよとは言われなくても、なんとなく継がざる得ないよなと当時は思っていました。

—今年代表取締役になられたということで、これから会社の代表としてどんな風に動いていきたいか教えていただきたいです。

澤田:なかなか難しいんですけど、デザイン経営スクールでいいご縁をいただいてアイデアを頂戴したので、会社として成長していかなければならないなと思っています。

地域と一蓮托生みたいな感じで地域の雇用でなんとか成り立ってきた会社なので、だんだん衰退していく現場を見ていくのは心苦しさがあります。でもせっかく生きて死んでいくとしたら、墓石に眼鏡だけを作って死んだというよりかは、「地域にちゃんと向き合って自分の意思で何かをやって死んだ男」として墓石に刻まれる方がいいなって笑。代表として、会社を動かせる立場になったので、眼鏡のことだけではなく、そういった地域のこともやっていける会社になりたいなと思います。

地域に種を蒔いていくということ

—次に平田さんに質問なのですが、今年は初めてRENEW事務局長を務めたと思うのですが、事務局長になったことで変わったことや大変だったことはありましたか?

平田 : 去年と今年では、私の中ではだいぶ違っていて、去年は業務をこなすだけになってしまって、RENEWが終わった後「なんかできちゃった!」みたいな感じでやった実感があまりなかったんです。というのも、その当時、事務局内でもいろいろあって。とにかく回ってくるタスクをこなすだけで、やっている意味とかを理解できていないまま仕事をしていて、やりがいを見つけきれていませんでした。今年は事務局長という立場になって、終わった時に「ちゃんとやってよかった」と思えることがいくつもありました。その中でも、実行委員長の谷口さんの横で、事務局長をすることが私的にすごく面白くて。

—具体的なエピソードぜひお聞きしたいです。

平田 : 谷口さんが思う鯖江の未来を作り出すときに、どういう手法でやるのかというのを聞いて実行するんです。例えば、越前市ともっと連携をしたいから今立でも頑張って案内所を出すことで越前市が協力してくれる形になるかも!とか。越前町の焼物のエリアはまだ事業者さんが少ないから、どうやって今後連携していったらいいか考えたときに、谷口さんは「のぼりを立てに行こう!って」言い出したんです。谷口さん的には、のぼりを立てることでRENEWをやっているという風景ができ、越前町の焼き物エリアにRENEWの噂に広がって「自分も参加しようかな」って思ってくれる事業者さんが増えるんじゃないかって。そういう種蒔きをする作業が結構興味深いんです。来年、蒔いた種がどうなっていくんだろうって考えることが楽しみにつながっています。

東京から鯖江へ、移住のきっかけ

—なぜ東京から鯖江への移住を決めたのでしょうか?

平田 : 私がやりたいと思っていることとRENEWがやっていることがすごく近かったのがあります。大学4年生の時に、ゼミの先生が工房見学に連れて行ってくれたことがあって、いろんなものづくりを見ました。でも、その時私は、ここに訪れる人がものづくりの背景を知って見れて帰れたらいいのにって思ったんです。観光で来る人って、ガイドブックと見比べて終わりだったり、お土産にしても最悪違う産地のものをここで作られたお土産と思って買っていくみたいな、それにすごく憤りを感じた瞬間があって。それから大学院に入って「地域を伝えるには」というところを勉強し始めました。最初は、右腕人材になろう!みたいな感じではなかったけど、自分の「本当の地域を伝えたい」というミッションとうまくマッチしたからこそ、今鯖江いるんだと思います。

—鯖江に来るハードルは高かったですか?

平田 : たまたま大学院で、森さん(※元RENEW事務局長)がRENEWの話を講義中にしていて、「こんな町があるんだ〜!」と鯖江のことは軽く知っていました。そのタイミングで大学の友達が鯖江に移住することになり、初めて鯖江に来るときは、友達がいるところに遊びに来た印象の方が強かったです。22年に初めて、鯖江に行った時に新山さん(※合同会社ツギ 代表 / 一般社団法人SOE 副理事長)と直接話す機会があって、その時に新山さんから「僕会社作ったんだよね」って話を聞いて。22年の8月だったんでちょうどSOEができたタイミングだったんですよ。それがきっかけでSOEへ入社しました。

—人との繋がりでできた縁というか、大きなターニングポイントですね。

平田 : 新山さんは覚えていないと思うんですけど、私が鯖江に初めてきて会った時に「あいとん鯖江来なよ〜」って一言目に言われて。私は「はい?」って感じだったんですけど、その寛容さというかゆるさというか、知っている人もいるということで移住のハードルは、そんなに高く感じませんでしたね。

地域にいた人、地域に来た人

前編では、地域にいた人・澤田さん、地域に来た人・平田さんが今鯖江にいる理由・きっかけを伺うことができました。それぞれから見た「鯖江」をお聞きすることで、「鯖江」という地域の奥行きの広さをより感じました。

そんなお二人が今どのような活動に取り組んでいるのか、後編にて深掘りしていきます!お楽しみに!

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チームサワショウ、クラウドファンディングに挑戦中です!

越前鯖江デザイン経営スクールきっかけに、めがねのまちさばえに雇用と住まいの「情報シェアハウス」を作るプロジェクトが進行しています。クラウドファンディングを通じて、多くの人々に沢正眼鏡さんの取り組みを知っていただき、チームサワショウと共に地域を盛り上げていく仲間になっていただければ幸いです。ぜひ、応援よろしくお願いいたします!

<支援・詳細はこちらから!>https://readyfor.jp/projects/sawasho